友人の死

ブログに書くようなことではないのかもしれないけれども…。

今夕、高校の同級生(2・3年)の訃報が舞い込んだ。人間は死のまえでは平等だとか言うけれども、死というのは(あるいは人間というのは)両義的で、数値化することもできる(死者数、死亡率)けれども、より近しい人間にとってはかけがえのない固有性を持つものなのだと痛感している。正直なところ、予想もしなかった喪失感だ。

我々の出身校は中高一貫校で、彼は中学から、僕は高校から入学なので、中学からずっと一緒だった人たちや、あるいは部活が一緒だった人ほど付き合いは深くなかったかもしれない。大学も同じだったけど入学年が違っちゃったりして、キャンパスで顔を合わせても、「よぅ」と挨拶するくらいだった。でも、高校二年間という濃い時間を共にした友人として、そんなでも、深いところで繋っているような気持ちでいた。

近頃、facebookを通じて、彼が東北の被災者を援助するユニークなプロジェクトを立ち上げたことを知ったときも、正義感の強い彼らしい行動だな、としか思わなかった。むしろ相変らず行動力を発揮してバリバリやってるな、とさえ思った。彼のその活動を呼び掛けるブログ(日付は9日前)を読んで、彼が筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患い、その時点で手足が動かず、会話にも苦労する状態だったことを、今になって、訃報を知ったあとになって知った。

そのことを知っていたとしても、間違いなく、僕が彼にできることなどなかった。でも、知っておくべきだった。取り返しのつかないことだけれども、ただただ悔やまれる。

くぅた、知らなくて、ごめん。安らかに眠ってください。