Category: Indonesia

演劇『オン/オフ』

なぜか世田谷パブリックシアター、シアタートラムで公演されるアジア現代演劇プロジェクトに関わっております。『ブレイク-ィング』というのはマレーシアの、『オン/オフ』はインドネシアの劇団がやります。当然ですが、僕は後者に関わっているわけなのです。 恥かしながら演劇にはあまり縁のなかった僕は知らなかったのだが、このシアタートラムってのは、世界的に有名らしい。パトリックもだいすききだとまぁくんがゆってた。 公演は今月14〜17日(14日は『オン/オフ』はなし)、場所は三軒茶屋なので、都内の人は見に来てくださいねん。僕は、当日てんやわんやでしょうが。あと18日からシンポジウムだのワークショップもあるので、興味のある方はどうぞ〜。

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読売文学賞:研究・翻訳賞

まずは、読売文学賞:第59回受賞者発表へGO!! プラムディアの『ガラスの家』の邦訳が受賞。見ている人は見ているのだなぁ。読んでない人はすぐにブル島四部作全巻を一気に読むべし、読むべし。

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スハルト

スハルトが死んだというのに、ブログに直ぐ書き込まない僕のことをいかがなものかと思った方のいたかも知れないけど、そんなことは自意識過剰なだけなのかも知れない。ま、兎も角、昨日は家庭内で疲弊してしまったので、「そぅか、ようやく亡くなったか。」と思いつつ早々に就寝してしまったのだった。 僕がインドネシア研究を志したころ、僕にとってスハルトはまさしく悪の象徴であった。ナイーブなものだと呆れるばかりだが、そのような感覚は長く、スハルトが大統領をやめた1998年以降も、どこか根っこの部分にあったと思う。まぁスハルトは悪いっちゃ悪いんだけど、スハルトが悪いというのなら外にも悪い人は多くいるし、ねぇ、と思うようになったのは恥しながら比較的最近だ。

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歴史と文学についての本なのだが…

Anna-Greta Nilsson Hoadley, Indonesian Literature vs New Order Orthodoxy: TheAftermath of 1965-1966. (Copenhagen: NIAS, 2005) という本をようやく読み終えた。一見、非常に重要そうで、しかも薄っぺらなこの本を読み終えるのに、思いの外時間がかかったのは、つまらなくて読み続けるのが辛かったからだ。おおよその内容は、Sejarah Nasional Indonesia に代表されるスハルト体制正史で描かれる(あるいは描かれない)G30S像(事件そのものよりは、その後の赤狩りや政治犯について)の対抗言説が、アフマド・トハリやウマル・カヤム、ユディスティラなどの文学作品に見い出されます、というもの。それだけ。手法は、各文学作品に描かれるエピソードを抜き出して、テーマ毎に纏めるというもの。考察は無きに等しいが、ギアーツの(様々な意味で)有名な「サントリ、アバンガン、プリヤイ」の枠組みを用いて、ジャワ文化論とG30S文学を論じている、凡庸かつ退屈かつ訳わかめな章がある。このとき、非ジャワ人の作品、あるいはジャワを舞台としない作品は無視される。そんな乱暴な。 これ以上は、きちんと論文の形で書こうと思う。何か怒りに似た感情が拭い去れないでいる。

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今日買った本(Gramedia, Pondok Indah Mall)

Seno Gumira Ajidarma. Kalatidha. Jakarta: Gramedia, 2007. [ISBN: 978-979-22-2503-7] Ahmad Tohari. Ronggeng Dukuh Paruk. Jakarta: Gramedia, 2007. [ISBN: 978-979-22-0196-3] Ita Fatia Nadia. Suara Perempuan Korban Tragedi ’65. Yogyakarta: Galangpress, 2007. [ISBN:979-23-9982-8] 全部、930関係。Senoのは今年春にでた新作。Tohariのは、Ronggeng Dukuh Paruk: Catatan Buat Emak (1982), Lintang Kemukus Dini Dari (1985), Jantera Bianglala (1986)をまとめたもの。最後のは、まぁ、一応買っておく。

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G30S or GESTOK 被害者のドキュメンタリー映画

先日書いたPemutaran film, diskusi & buka puasa:”GESTOK dan Perang Global”に昨日行ってきた。映画自体は既にDVDも持っており、見てもいたので、ディスカッションが楽しみだった。のだが、あまり面白い話はなかった。若手の歴史学者(つまり彼らは930事件を事後的に「経験」している)の話が根本的にズレていると感じたのは、彼らが930事件直後の虐殺の問題をインドネシア国民としての自分の問題と捉える構えを見せないところだった。まだ僕自分の考えをまとめきれていないので、また機会があればこの問題に触れようと思う。 ところで会場は、Galeri Publik というところで、Institute for Global Justice といういかにもな所だった。彼らの出している雑誌を貰ったのだが、これまたいかにもなので、スキャンした。(上の画像)個人的にはもうお腹一杯なんだけど、重要な問題ではある。

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930 or 101

今日は9月30日でした。42年前の、今から数時間後に所謂9月30日運動(Gerakan September Tiga Puluh,GESTAPU)が始まりました。事の真相は、確定されていませんが、インドネシア共産党のクーデタ説(スハルト体制での公式史観)、CIAの陰謀説、スハルトの陰謀説、陸軍内での権力闘争説など、種々様々な説があります。現在でも、「誰がこの運動のマスターマインドか?」という話題は折に触れ、時にはスキャンダラスに語られています。ゲスタプという略語は、もちろんナチのゲシュタポを想起するように、この運動を鎮圧した側が無理して作ったものです。(9月30日なら、30 September とするべきですし、単語の頭からではない文字を使ったりしています。)そのため、これに抵抗する人々は、運動が起きたのが10月1日未明であるから、Gerakan Satu Oktober (Gestok)という呼称を用いたりします。

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