Bpk Joesoef Isak Sekali Lagi

昨年末のエントリで触れたSeri Buku Tempo: Orang Kiri Indonesiaを読みはじめた。Aidit, Sjam, Njotoと三人並んだら、皆さんは誰についての本から読みはじめるだろうか?(いや、そんな本読む人がほとんどいないことは分かってる。)僕の場合は断然Njotoである。

さて、それは兎も角、この叢書に共通して付されているまえがきでちょっとした事実を知った。スハルト体制下で、プラムディヤ・アナンタ・トゥールの作品などを出版しては発禁にされていたHasta Mitraのユスフ・イサック氏が2009年8月に亡くなったことはこのブログでもすでに触れているし、別のところで追悼文も書いている。彼が亡くなったのが15日の夜で、その日の昼間にはTempo社で、Njotoの奥さんや子供たちと一緒にTempoのNjoto特集(この特集が本となった)のためのミーティングに参加していたのだという。彼の死が本当に突然だったということに改めて驚き、そしてその死の直前までインドネシアにおける歴史に対する責任を全うしようとしていたことに脱帽する。

該当部分をちょっと訳してみると…。

「…ニョトについての特集号を準備していたとき、ニョトの妻スタルニと子供たちはインタビューを快諾してくれた。私たちはプロジェクト初期段階のディスカッションに彼らを招いた。ジャーナリストであり、ニョトの近しい友人であったユスフ・イサック氏を招くことも忘れなかった。

この最後の人物に、私たちは大いに恩義を負っている。私たちがニョトとリタ(KGBの諜報員と思われるロシア女性)とのラブ・ストーリーについて確信を得たのは、ユスフ氏からである。この浮気を知ったD.N.アイディットは激怒したという。その後、アイディットとニョトの関係は疎遠になったと言われる。

それ以前にこの話は曖昧なままだった。『テンポ』編集部でのディスカッションで、ユスフ氏は初めてこの話をニョトの妻スタルニの前で明らかにしたのだった。私は覚えている、ユスフ氏は涙を流していた。スタルニはと言えば、怒りや悲しみを見せなかった。その日の晩、ユスフが亡くなった。数年来彼は心臓に病を抱えていたのだった。」