Samsulさん新聞に載る

Teman SeniorなSamsulさんの写真展:僕の友達はここにについての記事がJournal Nasionalの1月31日号に載っていたことを知った。

折角なので訳してみた(戯訳は最後に)のだが、shutter-rana (tombol untuk
memotret)という表現があった。shutterはシャッター、カッコ内は写真を撮るためのボタン(つまりシャッターボタン)だけど、rana は初めて目にした。KBBI3 には別の意味でしか載っていない。Comprehensive Indonesian-English Dictionary によると、「rana III (Jv) 1 folding screen. 2 shutter (of a camera) . bukaan ― diaphragm (of a camera) . waktu bukaan ― exposure time.」とある。ほほうジャワ語ですか。Pigeaudのジャワ語オランダ語辞書によると「rana II: kamerascherm, schutsel; zo wrana」。

戯訳はこのあと。しかし、専門外の文章の翻訳は難しい。しかも芸術批評っぽいのは特に…。

「岩崎氏の写真の温もり」

Jurnal Nasional 2010年1月31日(日)

シファ・アモリ

「TKI(出稼ぎ)でマレーシアにいるお母さんを想って。今度のレバラン休みには帰ってきてね。」(バンテン・ラマ、2008年10月5日)

心の琴線に触れるこの文は小さな正方形の紙に書かれ、黒いフレームに収められたモノクロ写真の下に貼ってあった。その写真自体も劣らず哀しさを映していた。質素なシャツを来た男性が座り、股の間には小さな男の子が立っている。二人の目はカメラに向けられている。一方、もっとカメラの近くに立っている少女、その目は遠くを見つめる。視線は空虚だ。

この小さな女の子は、葉の落ちた木の枝に寄りかかり、寂しい目で物思いにふけっている。そのとき彼女は出稼ぎに出ている母親が帰ってくるのを本当に望んでいたかに映る。あるいは、母親の微笑みを思い出そうとしているのかもしれない。確実なのは、岩崎氏——この文を書いた写真家——は、彼の写真の被写体たちが何を感じているか、いい加減なことを書いてはいないことだ。

感情を揺さぶるのは上記の写真だけではない。他に数点あった岩崎氏の作品も、作り物ではない純粋な哀しい雰囲気、そしてまた喜びへと人を誘う。岩崎氏は、永遠なものにするのに適切な“瞬間”と状況を非常にセンシティブに見つけ出した、と言っても良いだろう。瞬間こそが物を言い、それ以前、それ以降に起きたであろうことについて語るのだ。

岩崎氏は写真の一片を展示しているのではなく、写真の中にある「体」全体を展示しているのだ。彼は、都市周辺のカンプン【*集落、貧しい人の住む地域】に飛び込み、人々とおしゃべりをし、知り合いになり、物語を共有する。そして、被写体となる人から「感情」を得たときに写真を撮る許可を求める。

このようにアプローチに時間がかかるのだから、国際交流基金ミニギャラリーに展示されている岩崎氏撮影のポートレートが大きな感情的効果を持つのも自然なことだ。金曜(1月15日)から土曜(1月16日)【訳注:写真展の期間間違い】まで展示されている20ほどの写真のうちすべてが、作為のない感情の「真っ直ぐさ」を映し出している。岩崎氏自身は、自分の写真をヒューマン・インタレスト・フォトグラフィーというカテゴリに位置付けている。

「これは2003年以来二度目の写真展で、やはりヒューマン・インタレスト・フォトグラフィー、特に東洋という地域性を含蓄したものになります。今日、何もかもアメリカに倣っていますが、私は自分の周囲に居心地の良い地域的価値観をとても感じるのです。それが、私の撮りたいものです。」と、すっかりインドネシア化してサムスルという名で知られる岩崎氏は語る。彼のインドネシア語もとても流暢で、彼が被写体を探して歩き回る土地の人たちと交流するのに役立っている。

岩崎氏によると、インドネシアのカンプンという環境はかつての日本を思い出させるらしい。当時、同じ環境にある家族同士はお互いを気にかけ、親しくしていた。「今では、みんな疎遠になってしまいました。多くの人はアパートに住み、隣りに住む人を知りもしません。インドネシアにはまだこうした親しさがあります。例えば、一つの家に三世代住んでいるとか。おじいちゃん、おばあちゃんと孫がおしゃべりをして、年長者を敬っています。」10年以上真剣に趣味の写真に取り組んできた岩崎氏はそう語った。

どうやら、岩崎氏の撮影した写真から滲み出ているのは真剣さであるようだ。意味のある洗練さ——技術的にも被写体の選択においても——はないけれども、彼と同列のプロの写真家と彼を隔てているのは、岩崎氏の写真は他にはない独特さ、つまり完全なる自発性を伝えているからである。彼は、人々を写真の対象=被写体にした後、写真のなかの人々に、彼自身を彼らの「対象」にすることを許している。

方法は、コミュニケーションを取り、おしゃべりをし、心の声を聞くことだ。軽いおしゃべりは、被写体に自分も岩崎氏のプロジェクトの一部を占めているのだと感じさせる。ましてや、写真を撮ったあと、たいてい岩崎氏はまたやって来て、写真に収められた人々にプリントをあげているのだから。写真家としての岩崎氏と、彼の写真の中のにいる人々の関係はシャッターを切る時間のように短くはないのだ。「僕の友達はここに」と題する写真展を彩っているのは、この双方向性である。「私はギブ・アンド・テイクをしているんです(感謝しています)。私は、写真を撮っても良いよという彼らの気持ちを受け取り、そのあとで、その写真をあげるのです。」と岩崎氏は言う。彼はこのようにして、撮影後の対話のなかでも、彼のフォトグラフィーのプロセスを続けるのである。

そのため岩崎氏はいつも二台のカメラを持ち歩く。一台は、あとで被写体となった人にあげるためのカラー写真用。もう一台が個人でコレクションするためのモノクロ写真を撮るカメラだ。岩崎氏によると、モノクロ写真芸術を選んだのは、フィルムを自分で現像することができるからだという。つまり最後のプロセスまで自らの手でできるのだ。美的な理由について岩崎氏は、彼の撮影場所はほとんどが経済的には下層で汚ない環境であり、この貧しさを、モノクロの技術によって少しはぼかすことができると考えたのだという。

その他に、おそらくモノクロ写真のクラッシックな印象がいまだに好まれることもあるだろう。今日、デジタル技術の時代にあって、モノクロ写真は20世紀へのノスタルジックな感情を呼び起こすように感じられる。ましてや、この技術に存する白と黒のコントラスト、そして明暗は、一つの作品のなかに強調したい「メッセージ」を込めるのにとても向いていると考えられる。

クラッシックであるという要素以外にも、モノクロ写真は、初心者が自分の創造性を試すのに最も安価で容易な方法と考えられる。プロの写真家さえも多くの人が、それぞれ独特な芸術的な理由からモノクロ写真を利用し、各々のスタイルと特徴を際立たせるためのテクニックを探求している。

acehfotografer.netというサイトのBBSでは、モノクロ写真作品には強く魅き込む力が見られると言われている。これは、異なるトーン、フォルム、テクスチャが色に邪魔されることなく一体となっているからだ。

これにより、コントラスト、フォルム、テクスチャをより理解することができる。また良い写真を生み出すための要素として、明暗を整える目も養える。今でも、モノクロ写真は容易に撮影できるし、結果もすぐに見ることができる。デジタルカメラにも、モノクロ撮影機能がある。

この他にも、もちろん岩崎氏個人の撮影スタイル・技術の巧いタッチが散りばめられており、この写真展の印象をより深くしている。例えば、いくつかの作品は視覚的に理想的な構図を取っている。もちろんピントや露光の絶妙さもある。

例えば、男の子と女の子たちが地面へと垂れた葉の繁りの下、大八車の近くに集合している写真。一目では、この写真は熟練の写真家が「枠」に収める巧さを見せつけているだけのようだが、しかしより詳細に見てみれば、その構成は実にユニークだ。キャンバスに描いた油絵を思わせるタッチがある。子供たちもぱっと見ると繁った枝にたわわになった果物のようだ。岩崎氏のメモにある一言、「天使のなった木」そのものだ。

構成がこの写真の長所であるならば、室内にいる老人の姿にフォーカスを当てた、「サルマンさんの死」と題する写真は、露光が物を言っている。写真撮影には暗過ぎる室内をこの写真家はものともせず、フォーカスを当てたい部分——老人の顔半分、片腕、そして痩せた肋——への光を得る最適の場所を探し出した。残りは、後の換気口からわずかに漏る光を除いて黒一色である。

写真展「僕の友達はここに」のパンフレットに——『woodmag』2009年1月20日号からの引用で——岩崎氏は、その弱点を作品の強みへ変えるため、お気に入りの一台となったカメラを出来る限り知ることを強調している。そのカメラが光(明るさ?)の点で弱いというのも含めて、強みにしようというのである。実際、何十台ものカメラ・コレクションを持ちつつ、彼はそれぞれの特徴をよく覚えているのだ。

この老境を迎えた男の写真は、岩崎氏がプリントした写真をあげるために再び訪れるとその老人は亡くなっていたことにより、彼には最も印象深いものだ。だから岩崎氏は、この写真の下には長めの文を書いている:その後、何人も被写体になってくれた方を見送りました。「あの世でまた逢おうね」が最期の挨拶になったりしてます。

岩崎氏の作品を深く鑑賞すればするほど、訪問者はますます深く個人の日記に関わることになる。そこではそれぞれの絵が、撮影者の、被写体の、そしておそらくは鑑賞者の心の声である。