スハルト

スハルトが死んだというのに、ブログに直ぐ書き込まない僕のことをいかがなものかと思った方のいたかも知れないけど、そんなことは自意識過剰なだけなのかも知れない。ま、兎も角、昨日は家庭内で疲弊してしまったので、「そぅか、ようやく亡くなったか。」と思いつつ早々に就寝してしまったのだった。

僕がインドネシア研究を志したころ、僕にとってスハルトはまさしくの象徴であった。ナイーブなものだと呆れるばかりだが、そのような感覚は長く、スハルトが大統領をやめた1998年以降も、どこか根っこの部分にあったと思う。まぁスハルトは悪いっちゃ悪いんだけど、スハルトが悪いというのなら外にも悪い人は多くいるし、ねぇ、と思うようになったのは恥しながら比較的最近だ。

今朝の新聞各紙に書かれていたように、スハルトの功罪はこれからまた検討されるべきことだろう。個人的には、彼の進めた「開発主義」は、スカルノ体制で疲弊していたインドネシアには必要なものだったという前提を押さえた上で、彼の歴史的評価を下げる要素は、資源と安価な労働力に頼りすぎて、「開発」に必要なインフラの整備をしなかったことだろうと考えている。利権まみれの「開発」のためにカンプンに火をかけるのであれば、首都交通網のために火をかけることもできたはずだ。

その一方で、スハルトの凄いところ(いや、ほんとに凄いと思っている。ある意味、マルクスよりも凄い)は、彼が人間の汚い部分を良く理解していたことだ。彼の作った体制は、すべからく人間のに基いていた。彼を中心としたの体制こそがスハルト体制だっし、人の欲を実にうまく操ったのがスハルトだと考えている。そうした人の欲を知り尽したスハルトも、結局自分の妻子の欲は操れなかったけれども。また、スハルトは、人間が物質的な欲に突き動かされる一方で、なにか抽象的なものあるいはシンボルのために死ぬことさえあることも知っていた。だからこそ、スカルノを退陣に追い遣ったあと、ろくな治療もさせずに「殺した」し、メガワティが幾ら凡庸を越えた凡庸な人間であってもその象徴としての力に過剰反応してしまったのだろう。況んや、名もなき民衆を殺すことなど容易いことだったろう。

と、何か書こうとしたが、またまた混乱してきたので、そのうちまた書こうと思う。