雨後の竹の子とタン・マラカ

ここのところ2009年の総選挙に向けて、毎度の如く(?)政党がうじゃらうじゃらと湧いてきております。ウィラント元国軍司令官が、Partai Hati Nurani Rakyat (Hanura)という、日本語だと「国民の良心(ハヌラ)党」とでもなりましょうか、新政党を昨年末に設立したことは、メディアで大きく取り上げられていましたので、ご存知のかたも多いと思います。

勿論、ウィラントの政党も、それはそれで興味深いのですが、今日のKompas紙に個人的にはもっと気になる記事を見付けました。即ち、Partai Murba Indonesiaです。

またMurbaですか。

ちなみに、ムルバとはインドネシアの左派革命家タン・マラカが生み出した、彼流のプロレタリアート概念。彼は、植民地期にはインドネシア共産党の指導部にいたものの、独立後の共産党とは袂を分かち、闘争同盟(Persatuan Perjuangan)を結成して、スカルノ政府を激しく批判し、対立して、結局は(おそらく)スカルノ政府に殺された。

スハルト体制崩壊後1999年の総選挙に、Murbaを名乗る政党が参加していました。当時は、スハルト体制によって抑えつけられていたものが吹き出してきた時期で、タン・マラカの著作も(杜撰な編集ではあるものの)次々と出版されていた時期でしたし、スハルト的でないものの一つとしては、それなりに意味があるのかと思いましたが、結局は、有効票105,786,661のうち、62.006しか得票できず、参加した48政党中で43位と惨憺たる結果でした(1999年総選挙の結果はこちら)。で、その後は消滅。

法務・人権省のこのページによると、党首のクスリン(Kusrin、ちょっと可愛い響きだ)は法律家のようです。書記も工学士なので、やはり知識人の党なのでしょう。しかしながら、先述のKompasの記事でも、「どうしてMurbaなのか?」が全然書かれていない。そもそも、今時 Murba と言われても、普通のインドネシア国民には何のことか訳分からんのではないだろうか。(その点、ハヌラ党の方がまだ説明が容易だろう。)暇があったら突撃取材でもしてみるか。